2016年10月20日
バイバイ・・・
私は4人兄弟の末っ子で歳の離れた2人の兄と姉がいます。
1番上の兄貴とは事情があって小さい頃から一緒には住んでいませんでした。
その兄貴は名古屋へ就職し、たまに帰ってきた時はとことん遊んでもらい
私が小学高学年の時は良く海釣りに連れて行ってもらいました。
2人の兄は仕事をしていたのでそれなりの道具を使っていましたが
小学6年生の私はお小遣いを貯めて買った安物の竿。
沼やお堀で使う為に買った竿ですからリールなんて当然装着出来る
はずもなく、ただただ長いだけののべ竿。
そんな竿だから海へ行ってもタナは最高でも竿の長さよりも少し長い
程度で、頑張っても3メートルくらいだったかな?
ウキを使わない釣りだからアタリを竿先に感じるダイレクトな釣り。
今考えるとそんなんで良く釣りをしていたと思います。
それでも小学生の私は兄貴達が撒くコマセが流れてくる方向へ陣取り
メバルや黒鯛を釣ったりしていました。
ちなみに今、私がメバルやイカでホームにしている場所は兄貴達と良く
行っていた場所でもあります。
私は高校にあがり、釣りをしなくなりましたが兄貴達は2人でたまに
行ってたようでした。
兄貴は名古屋から天童へ移り住み、頻繁に海へ通っていました。
数年前、ルアーではありますが私が釣りを再開した事を兄貴に
伝えると嬉しそうに話を聞いてくれました。
このブログの読者でもあった兄貴。
たまに実家で会えば釣った魚の自慢話で盛り上がり、別れるまで釣りの
話で親も呆れ顔をする始末。
大きな魚を釣った記事を見ては「あれは凄かったな」と良く褒めてくれました。
兄貴はふかせ専門でポイントは毎回同じ。
「どこどこで釣れてるよ」
「あそこが調子いいらしいよ」
と兄貴に伝えても
「実績があるからよ~」
が口癖でいつも同じ場所へ入っていました。
実際釣果を出す兄貴は流石、子供達からは
「もう黒鯛は飽きたから違う魚を釣って来て」
と言われるほどでした。
兄貴が釣りに出ていると聞いて私も海へ向かい、夕方までそれぞれの
場所で釣りをしてから某所で待ち合わせて一緒に温泉に入り、翌日の為に
ラインを結んだり仕掛けを作るのですが、自動販売機が何台かあるだけの
所でだったので「見えね~」と2人で笑いながらと騒いだり。
ルアーも面白いからとほとんど無理矢理に近い感じで1度だけ青物狙いで
長い堤防を一緒に歩きました。
私も含め誰も釣っていない先端で釣ったのは兄貴1人だけ。
60オーバーの立派なワラサでした。
釣り以外にも趣味が多く、皮を鞣して自分でバッグを作ったりする程手先が
器用でした。
私が小さい頃から良く可愛がってもらい、体も大きく、強くて優しい兄貴は私にとって
スーパーヒーローでした。
その兄貴が先日亡くなりました。
私とは14歳離れていたので54歳。
実家近くへ用事があって、それが終わったら実家に泊まる予定で親も寝床の
準備をしていたのに実家へ戻ることなく・・・。
葬儀が終わってからは仕事をしていても運転をしていても何をしているのか
わからなくなったり、心に穴が開くとはこの事だろうなと思いました。
特にお袋は「なぜ子供の死んだ姿を見なければならないのか」と落ち込みが
酷く、兄弟で交代で実家に泊まらなければならないほど。
人の笑顔がなにより大好きで、人の為に出来ることはなんでもする兄貴でした。
友人が牧師を務めるキリストで洗礼を受け布教活動で海外にまで良く行っていました。
家族想いの父親として
奥さんを労り、愛し続ける夫として
絆を大事にする友人として
男として
人間として
とても尊敬出来る兄貴でした。
私の頭の中には兄貴の笑顔しか記憶にありません。
嫁さんも「いつも笑顔でいたからその記憶しかない」と言うほど。
他人には苦労している顔を一切見せず、いつも笑顔で居た兄貴。
そんな兄貴には沢山の友達が居て、葬儀には沢山の人が来てくれました。
葬儀場には私と一緒に行った時に釣り上げたワラサを持って撮った写真と
いつも使っていた釣竿が飾られていました。
まだまだやりたい事もあっただろうし、子供や孫に教える事が山ほどあっただろうし
そろそろ子育てから解放されて奥さんと2人で出掛けたり出来る時だったのに。
いまだに兄貴が亡くなった事が信じられず、実家に行ったり海へ行ったりしたら
兄貴が居たり、ひょっこり顔を出すんじゃないかと思ったりします。
でもいつまでも引きずってちゃ駄目なんです。
人の笑顔が好きだった兄貴だから笑ってなくちゃ駄目なんです。
兄貴の分まで笑顔で生きていかなくちゃ駄目なんです。
悲しむのは今日まで。
明日からは笑って生きます。
悲しんでたら兄貴に怒られるから。
このブログを読んでくれるだろうし、兄貴に褒められるようにまた大きな魚を
釣らないといけないから私は海へ向かいます。
1番上の兄貴とは事情があって小さい頃から一緒には住んでいませんでした。
その兄貴は名古屋へ就職し、たまに帰ってきた時はとことん遊んでもらい
私が小学高学年の時は良く海釣りに連れて行ってもらいました。
2人の兄は仕事をしていたのでそれなりの道具を使っていましたが
小学6年生の私はお小遣いを貯めて買った安物の竿。
沼やお堀で使う為に買った竿ですからリールなんて当然装着出来る
はずもなく、ただただ長いだけののべ竿。
そんな竿だから海へ行ってもタナは最高でも竿の長さよりも少し長い
程度で、頑張っても3メートルくらいだったかな?
ウキを使わない釣りだからアタリを竿先に感じるダイレクトな釣り。
今考えるとそんなんで良く釣りをしていたと思います。
それでも小学生の私は兄貴達が撒くコマセが流れてくる方向へ陣取り
メバルや黒鯛を釣ったりしていました。
ちなみに今、私がメバルやイカでホームにしている場所は兄貴達と良く
行っていた場所でもあります。
私は高校にあがり、釣りをしなくなりましたが兄貴達は2人でたまに
行ってたようでした。
兄貴は名古屋から天童へ移り住み、頻繁に海へ通っていました。
数年前、ルアーではありますが私が釣りを再開した事を兄貴に
伝えると嬉しそうに話を聞いてくれました。
このブログの読者でもあった兄貴。
たまに実家で会えば釣った魚の自慢話で盛り上がり、別れるまで釣りの
話で親も呆れ顔をする始末。
大きな魚を釣った記事を見ては「あれは凄かったな」と良く褒めてくれました。
兄貴はふかせ専門でポイントは毎回同じ。
「どこどこで釣れてるよ」
「あそこが調子いいらしいよ」
と兄貴に伝えても
「実績があるからよ~」
が口癖でいつも同じ場所へ入っていました。
実際釣果を出す兄貴は流石、子供達からは
「もう黒鯛は飽きたから違う魚を釣って来て」
と言われるほどでした。
兄貴が釣りに出ていると聞いて私も海へ向かい、夕方までそれぞれの
場所で釣りをしてから某所で待ち合わせて一緒に温泉に入り、翌日の為に
ラインを結んだり仕掛けを作るのですが、自動販売機が何台かあるだけの
所でだったので「見えね~」と2人で笑いながらと騒いだり。
ルアーも面白いからとほとんど無理矢理に近い感じで1度だけ青物狙いで
長い堤防を一緒に歩きました。
私も含め誰も釣っていない先端で釣ったのは兄貴1人だけ。
60オーバーの立派なワラサでした。
釣り以外にも趣味が多く、皮を鞣して自分でバッグを作ったりする程手先が
器用でした。
私が小さい頃から良く可愛がってもらい、体も大きく、強くて優しい兄貴は私にとって
スーパーヒーローでした。
その兄貴が先日亡くなりました。
私とは14歳離れていたので54歳。
実家近くへ用事があって、それが終わったら実家に泊まる予定で親も寝床の
準備をしていたのに実家へ戻ることなく・・・。
葬儀が終わってからは仕事をしていても運転をしていても何をしているのか
わからなくなったり、心に穴が開くとはこの事だろうなと思いました。
特にお袋は「なぜ子供の死んだ姿を見なければならないのか」と落ち込みが
酷く、兄弟で交代で実家に泊まらなければならないほど。
人の笑顔がなにより大好きで、人の為に出来ることはなんでもする兄貴でした。
友人が牧師を務めるキリストで洗礼を受け布教活動で海外にまで良く行っていました。
家族想いの父親として
奥さんを労り、愛し続ける夫として
絆を大事にする友人として
男として
人間として
とても尊敬出来る兄貴でした。
私の頭の中には兄貴の笑顔しか記憶にありません。
嫁さんも「いつも笑顔でいたからその記憶しかない」と言うほど。
他人には苦労している顔を一切見せず、いつも笑顔で居た兄貴。
そんな兄貴には沢山の友達が居て、葬儀には沢山の人が来てくれました。
葬儀場には私と一緒に行った時に釣り上げたワラサを持って撮った写真と
いつも使っていた釣竿が飾られていました。
まだまだやりたい事もあっただろうし、子供や孫に教える事が山ほどあっただろうし
そろそろ子育てから解放されて奥さんと2人で出掛けたり出来る時だったのに。
いまだに兄貴が亡くなった事が信じられず、実家に行ったり海へ行ったりしたら
兄貴が居たり、ひょっこり顔を出すんじゃないかと思ったりします。
でもいつまでも引きずってちゃ駄目なんです。
人の笑顔が好きだった兄貴だから笑ってなくちゃ駄目なんです。
兄貴の分まで笑顔で生きていかなくちゃ駄目なんです。
悲しむのは今日まで。
明日からは笑って生きます。
悲しんでたら兄貴に怒られるから。
このブログを読んでくれるだろうし、兄貴に褒められるようにまた大きな魚を
釣らないといけないから私は海へ向かいます。
兄貴へ
そっちで元気か?(笑)
いたずら好きな兄貴だから、幽霊になってビックリさせられるかと
思ってたけど、それをやらないって事は出来ないって事か?
もしも出来るとしても俺が海で釣りしている時は勘弁な、落ちると
困るから(笑)
兄貴が居なくなって少し時間経ったけどやっぱり寂しいよ。
兄貴の事を思い出すと、やっぱり大声で笑っている姿ばかりだ。
海でウキを見つめる目は真剣そのもので、釣り上げた時の笑顔が
忘れられないな。
葬儀の時に子供達から「釣りバカな父親だった」って言われてたけど
俺もそう言われそうだ(笑)
また釣りに行く約束してたけど、それも出来なくなっちまったな。
子供達にお願いして、兄貴が使っていた竿を1本貰って俺の竿と
一緒に飾っておくつもり。
まぁ、俺は餌釣りはしないから使う事は無いと思うけど、たまには
手入れしておくよ。
寂しくて悲しくてどうしようもないけど、いつまでも泣いてらんないから
海に行こうと思ってるけどいいよな?
俺も兄貴と同じでバカがつくほど釣りが好きだからさ。
デカい魚を釣るからまたいつものように褒めてくれよ。
俺はまだまだそっちには行けないけど、自慢出来るような釣果をあげるから
そっちに行ったらまた釣りの話で大声で笑いながら盛り上がろうな。
それまでバイバイ。
Posted by まこち at 20:19